内気女子向け はじめての演技入門

女優になりたいけど 「学校や仕事が忙しくて、レッスンを受ける時間がない! しかもお金もかかるし・・・」 と悩んでいる方必見! 日常生活でお金も時間もかけず、一人で簡単にできる演技の基礎トレーニングを舞台150回以上、朝ドラに3作品出演した俳優が公開!実践すれば、内気な性格でも自信を持って女優デビューできるブログ!

内気男子が30歳で劇団に入る物語

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おはようございます。井上 さとやです。

 

今回は、小さい頃から大人しく恥ずかしがり屋で

「内気な私が30歳で劇団に入るまでの道のり」

とその中で得た「人生で大切なこと」

をお伝えしたいと思います。

 

女優になりたい内気女子のみなさんが

「内気な私でも女優になれる!」と

勇気と希望を持つことができる!内容です。

 

是非、最後まで読んでいただき

女優デビューへの一歩を踏み出す

きっかけにして下さい!

 

 《目次》

 

内気な私が小さい頃 楽しみだったもの

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私は、小さい頃から大人しく内気な人間です。

特に小学生の頃はひどくて

クラスメイトの前に出ると

恥ずかしくて顔が真っ赤になって

話す声が小さいので

「何言ってるかぁ〜わかりませ〜ん」

とよく冷やかされていました。

 

そんな私がその頃、ハマっていたのが

西部警察」という昭和の大スター

石原裕次郎さんや渡哲也さん、舘ひろしさん

現在、バラエティー番組で活躍している

峰竜太さんや石原良純さんが出演していた

伝説の刑事ドラマです。

 

西部警察」は、今では考えられない

爆破あり、カーチェイスあり、銃撃戦ありの

アクション刑事ドラマで

私は、渡哲也さんが犯人を追いかけて

最後にショットガンで撃つ姿がカッコよく

魅了されていました。

 

そして、近所の友達とよく

「バキューン!バキューン!」と言いながら

銃撃戦のマネごとをして

西部警察ごっこ」をして遊んでいました。

これが私の俳優としての原点です。

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中学生になるとお笑いに

興味を持つようになりました。

 

その頃、ハマっていたのが

夢で逢えたら」という

ダウンタウンウッチャンナンチャン

清水ミチコさん、野沢直子さんが出演していた

今や伝説になっているコント番組です。

 

この番組は、私の芸能魂を呼び起こしました。

私は、松ちゃんやウッチャンが演じる

コントのキャラクターが好きで好きで仕方なく

テレビの前でよくマネをしていました。

 

そして、人にキャラクターのマネを見せたくて

学校の休み時間や部活動の休憩時間に

友達や後輩たちによくマネをしていました。

これが結構、評判が良くてよくウケたんです。

 

友達や後輩たちが笑う姿を見て私は、

「自分が何か表現をして、

人が喜んでくれることは凄く気持ちいいなぁ」

と嬉しい気持ちになりました。

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高校生になった私は、将来について

いろいろと考え始めました。

 

テレビっ子の私は、

「テレビに関わる仕事がしたい」と思い

西部警察」みたいな刑事ドラマで

アクションができる俳優を目指そうか・・・

 

夢で逢えたら」のようにコントで

いろんなキャラクターが演じられる

お笑い芸人を目指そうか・・・

 

その他にもバラエティー番組に関わる放送作家

野球が好きだったのでスポーツライターなど

何か自分を表現できる職業に就きたいと

考えていました。

 

しかし、憧れはあっても結局

普通の仕事に就くんだろうという

半分諦めの気持ちもありました。

 

何かモヤモヤしたまま

高校生活が終わろうとしていた時

私の人生観が大きく変わる出来事が起きました。

 

私の人生観が変わった大きな出来事

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高校3年の3学期、もうすぐ卒業という

1995年1月17日の早朝でした。

 

眠っていた私は、大きな揺れで目が覚めると

ベッドから振り落とされそうな状態で、

必死にベッドにしがみついていました。

 

数十秒後に揺れは収まりましたが

停電で部屋は真っ暗になりました。

阪神淡路大震災です。

私の生まれ育った兵庫県

大きな地震が襲いました。

 

幸いに私が住んでいた地域は、

2時間程、停電になったものの

大きな被害はありませんでした。

 

しかし、神戸や淡路島を中心に大きな被害が出て

残念ながら多くの方が犠牲になりました。

この出来事は、私の人生観を大きく変えました。

 

自分が住んでいる地域が地震

壊滅的な被害が出て、多くの命が奪われたことを

目の当たりにした私は、

「人間いつ死ぬか、わからない。

好きなことをして、生きることが大事」

という気持ちが強くなりました。

 

ただ、一歩を踏み出すのは、

ここから2年後になります。

 

一歩を踏み出すきっかけになった作品

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高校を卒業をした私は、

近所のスーパーでアルバイトをする

ただのフリーターになりました。

 

その頃私は、山際淳司さんという

スポーツライターに憧れていました。

 

当時の山際淳司さんは、

本職はスポーツライターですが、ビールのCMや

スポーツ番組のキャスターを務めたりと

マルチに活躍されていました。

 

私は、山際淳司さんが書いている本の世界観と

メガネをかけてインテリチックな上品な風貌に

カッコ良さを感じて

自分もこんなスポーツライターになりたいと

思うようになりました。

 

ただ当時は、

インターネットが普及していない時代で

どうすれば、スポーツライターになれるか

わかりませんでした。

 

そんな中、衝撃的なニュースが

飛び込んできました。

憧れの山際淳司さんが亡くなったと

いうニュースです。

 

本当に突然でした。

キャスターを務めていた山際さんの姿も

痩せた印象ではありましたが

 

それにしても突然の訃報でした。

このニュースは、私にとって

非常にショッキングでした。

 

大震災と憧れのスポーツライターの死によって

「人間いつ死ぬか、わからない。

好きなことをして、生きることが大事」

という気持ちが、益々強くなりました。

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そんなある日、テレビを観ていると

海外のコメディドラマが放送されていました。

 

「Mr.ビーン」というイギリスのドラマで

ローワン・アトキンソンという

イギリスのコメディ俳優がビーンという

トラブルメーカーを演じて

まわりの人間におもしろおかしく

迷惑をかけるコメディドラマです。

 

私は、このビーン演じる

ローワン・アトキンソン

台詞が少なく、アクションだけで

笑いをとるコミカルな演技に魅了されて、

すぐに「Mr.ビーン」のトリコになりました。

 

NHKの深夜で

数ヵ月に1回の不定期での放送でしたが

私は、テレビ雑誌を購入して

放送日をチェックするほどハマりました。

そうしているうちに日本を含めて世界で

「Mr.ビーン」ブームが巻き起こりました。

 

この「Mr.ビーン」は、映画化にもなり

私も当然、観に行きました。

その帰り道、私は

「あんなコミカルな演技ができる

コメディ俳優になりたい!」と強く思いました。

そして私は、芸能事務所のオーディションを

受けることを決めました。

 

大失態!挫折!不遇の20代・・・

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とりあえず私は、オーディション雑誌を購入。

養成所のオーディションに応募しました。

 

書類審査に合格し、

オーディションを受けることになった私は、

初めて人前で演技をすることになりました。

確か、台本の読み合わせみたいなことをした

と思いますが、

少し緊張したことを覚えています。

 

オーディションはというと合格はしました。

(養成所は、ほぼ全員合格します)

ただ、入学金が18万円かかるということで、

私にとっては高額な金額です。

 

悩みに悩みましたが

「憧れのコメディ俳優になるために

一歩を踏み出そう!

そして、売れたらもうひとつの夢。

スポーツライターの仕事もできるかもしれない」

と思い、18万円を払って入学しました。

 

ただ、残念ながら授業が面白くなく

半年で辞めてしまいました。

 

それでも、まだ夢は諦めきれずに数年後、

今度は事務所に所属することになりました。

私は、この事務所で初めて舞台に出ました。 

 

舞台は時代劇で、この舞台では、

殺陣のシーンの出演だったので

本番半年前から週に一回、殺陣を習いました。

そして、舞台の本番が始まりました。

 

私はこの舞台で大失態を犯してしまします。

それは、殺陣のシーンで

主役の刀を折ってしまいました。

完全に私の技術的に

未熟だったことによるミスでした。

 

本番終了後。出演者、スタッフなど

数十人がいる中で、私は殺陣師から大説教です。

私は、完全に自信を失いました。

 

その後は何事もなく、無事に公演は終了。

そして、しばらくして所属事務所も潰れてしまい

私は、30歳まで普通のフリーター生活を

送ることになります。

 

心の支えになった親友と母親の存在

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20代の後半は、

特に俳優活動をすることもなく

普通のフリーターとして

職を転々としていました。

 

まわりの友人たちは、

就職、結婚、そして子供ができて育児と

環境が変わるなかで、私は何も変わらず

悶々とした日々が過ぎていきました。

 

そんな中、親友のA君が会社を辞めて

「海外へ留学する!」と言い出しました。

私は、驚きましたが、それと同時に

「凄い!」と思いました。

 

そして、1年間準備をして

本当にカナダへ留学しました。 

 

A君の留学に関して、

あまり良く思わない友人もいましたが、

私は、A君に対して

自分のやりたいことをやる行動力と実行力」

に感心しながらも

羨ましい気持ちでいっぱいでした。

 

そして、自分が何もしていないことに

焦りも感じるようになりました。

 

ただ、何もできない私は、

親友を応援するしかありません。

でも、いつの間にか、私にとっては

このA君は、尊敬できる親友でA君みたいに

「自分のやりたいことをやる行動力と実行力」

を兼ね備えた人間になりたいと思い、

目標になっていました。

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一方、そんな私を当時の母は、

どう見ていたのか・・・

 

この頃の母は私に対して

「自分のやりたいことはやればええけど・・・

何もなかったら就職しいや〜」

とよく言っていました。

 

しかし、私が20代当時、

不景気で就職口がなく

フリーター生活を

送らざる得ない状況でもありました。

 

そんな悩める息子を見かねてか

母は私に、こんな話をしました。

「お母さんは、若い頃。

やりたいことできへんかったからなぁ」と・・・

確かに母は、高校卒業後すぐに就職して、

20代前半に結婚、すぐに姉が生まれ

そこから、働きながら育児と家事で忙しい日々。

 

やりたいことがあっても

我慢をしてきたと思います。

私は母の話を聞きながら

母に甘えてばかりで、何か申し訳ない気持ちと

やりたいことがやれるのは幸せなことなんだと

ありがたい気持ちになりました。

 

やりたいことを否定しない母の優しい気持ちに

感謝の気持ちでいっぱいでした。

尊敬できる親友と優しい母の存在は、

不遇の20代の私にとって

心の支えになっていました。

 

劇団に入るきっかけになった2人の言葉

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不遇の20代を送った私は30歳になり、

派遣社員として工場で働いていました。

 

「よし!このまま、この仕事を頑張ろう!」

と意気込んだ矢先、いきなり派遣会社から

契約の更新をしないと言われました。

 

派遣切りです。私は、無職になりました。

30歳になり、いきなりお先に真っ暗!

そんなある夜、私はラジオを聴いていました。

 

笑福亭鶴瓶さんがパーソナリティを

務めているラジオです。

 

その放送の中で鶴瓶さんが「落語家は、

40歳、50歳でなる人間がたくさんいる。

それはいいこと。人間は、年齢はいくつでも

やり始める時が20歳なんですよ〜」

という話をしていました。

 

私は、その話を聞いて

「やりたいことをやることに年齢は関係ない。

今からでも遅くはないかも・・・」

とチャレンジ精神が芽生え始めました。

 

それからしばらくして、

新しい仕事が決まりました。

工場で昼夜勤の交代勤務の仕事です。

 

そして、入ってすぐに

私が勤務していた部署の主任さんから

「何かやりたいことないの?」聞かれ、私は

「昔、少しだけ芝居みたいなことをしてて

もう一度、やろうかなぁと・・・」 

 

答えると主任さんは、

「やりたいことがあるんやったら、

すぐにやったほうがいいよ。まだ若いねんから」

と言われました。

 

私は「まだ、若いのか。

もう30ではなくて、まだ30なんや・・・

そうしたら、まだまだ頑張れるかも」

と何か前向きな気持ちになり

勇気が湧いてきました。

 

私は、鶴瓶さんがラジオで言っていた

「やり始める時が20歳」という言葉と

主任さんの「すぐにやったほうがいいよ。

まだ若いねんから」という言葉に後押しされて、

一歩踏み出すことにしました。

 

そして、本格的に芝居をしようと思い、

ある有名な劇団のオーディションを

受けることにしました。

 

30歳で劇団に入団!

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劇団のオーディションは、見事に合格!

と言いたいところですが、

合格は合格なんですけれど

人手不足ということで

オーディション参加者は、全員合格でした。

 

まぁ、何はともあれ、劇団に入った私は、

人手不足ということで、入って1ヵ月で

舞台に立つことができました。

 

ただ、私が劇団に入ったことで

工場の勤務で問題が生じました。

それは、夜に稽古があるので、

夜勤帯の勤務ができなくなったということです。

 

でも、その問題は、

主任さんと交代勤務のもう一人の方のお陰で

一時的にですが、解決はしました。

 

主任さんが、上手くシフトを調整したことと

私の代わりにもう一人の方が夜勤帯に

入っていただきました。

 

本当に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

しかし、それにも増して、有難いことに

私が出演する舞台に主任さんや

交代勤務のもう一人の方が

家族やお友達を連れて

観に来ていただきました。

 

本当に感謝!感謝!感謝です!

ただ、シフト調整も長くはできずに

私は、工場での勤務が難しくなり

残念ながら劇団に入団後、

半年で退職することになりました。

 

それから、私は150回以上の舞台に

出演することになりますが

間違いなく、この工場の主任さんや

職場の人の協力なしに劇団活動は、

難しかったと思います。

 

そう思うと

本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

それと同時に私は、

「自分のやりたいことをやることに

まわりの協力は不可欠で、

いつも誰かに迷惑をかけ、

また、誰かに協力してもらっているんだ」と

"謙虚"と"感謝"の気持ちは忘れませんでした。

 

感謝の気持ちは良い演技で恩返し

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私が劇団で活動していた時に

一番頭を悩ませたのが

チケットがなかなか売れないことでした。

 

そんな困っていた私を助けてくれたのが

親友A君です。A君は毎回、

私が出演する舞台を観に来てくれました。

 

それだけでも有難いのに

チケットも売ってくれました。

本当に助かりました。 

 

ある公演に観に来てくれたA君に私は、

「いつも、ありがとう!」とお礼を言うと

A君は「いやいや。俺が留学した時、

一番応援してくれたやん。

これくらい、当たり前やでぇ」

と言ってくれました。

私は、この親友の気持ちが一番嬉しかった!

 

A君がチケットを売ってくれたおかげで

たくさんの方々に観に来ていただきました。

 

私は、観に来ていただいたからには、

「喜んで帰っていただきたい」

という思いが強くなり、

お客さんに良い作品を提供することが

俳優としての責任だと感じていました。

 

そして私は、観に来てくれる親友や

職場の人たちは、もちろん

全てのお客さんは、お金と時間を観劇のために

使っていただいていることに感謝し、

その感謝の気持ちは、良い演技で恩返しを

しなければならないと常に考えていました。

 

お客さんが舞台を観て、笑って泣いて

楽しい時間を過ごしてもらうことが大切。

そのためには、

しっかりした表現力を身に付けて

演技力を高めることで

お客さんに喜ばれる俳優を目指しました。

 

劇団で芝居をしている時は、

自分のことだけではなく

観に来ていただいている

お客さんのことを一番に考えていました。

そういう考えに至ったのも

親友の言葉が大きかったと思います。

 

その親友A君も、今では一児のパパで

仕事も家庭も充実し、

幸せな生活を送っています。

 

人前で演じることの責任と重みを感じる

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私が劇団に入った時に

勤めていた工場の主任さんは、

私の俳優活動を応援していただきました。

そして、お忙しい中

舞台にもよく観に来ていただきました。

 

一度、主任さんは奥様を

連れて観に来られたことがありました。

 

その時、主任さんから

「家内は、あまり体調が良くないので

舞台を観て、元気が出ればいいなぁ

と思い、連れて来た」とおっしゃってました。

 

本番終了後、挨拶をさせていただいた時に

「楽しかった!」と言っていただいて

「元気付けることができた!」と

嬉しく思いました。

 

それから、私は約3年間程

劇団で活動しましたが、舞台ではなく、

ドラマや映画に出演したいという思いで、

劇団を退団することになりました。

 

工場退職後しばらく、

主任さんと連絡をとることが

ありませんでしたが

入団時にお世話になったので、

退団の報告のために連絡をとりました。

 

久しぶりにお話をさせてもらった主任さんから

奥様が亡くなられたことを知らされました。

 

私は、驚いたと共に悲しい気持ちになりました。

でも主任さんから、

「舞台を観た帰り、家内は久しぶりに

楽しい気持ちだったみたいで、凄く喜んでいた。

これからの活躍も期待していたし、

また観に行きたいって言っていたよ。

私からも家内からも

楽しい時間を過ごすことができて

ありがとう!お疲れ様!」

という労いの言葉をいただきました。

 

私は、主任さんの話を聞いて

体調が良くないのに

劇場に足を運んでいただいて

もう訳ないという気持ちと

舞台を楽しんで喜んでいただけた

という安心した気持ちと半々でした。

 

そして、自分が人前で演じるということは、

「誰かを傷つけるかもしれない」という危険性と

「誰かに元気を与えることができる」

という希望があり、誰かの人生に

関わることになることを知りました。

 

「人前で演じることは、"責任"と"重み"がある」

ということを感じました。

 

母への感謝の気持ち

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劇団で150以上の舞台を経験し、

自分でも演技力が高まったことを実感した私は、

次に「ドラマや映画の世界で

自分の演技を試してみたい」

という思いが強くなり、劇団を退団しました。

 

それから芸能事務所に所属して

俳優活動をすることになりました。

 

そして、最初の仕事が朝ドラでした!

朝ドラファンの母は、大喜び!

私がアップで映ったことが

凄く嬉しかったのか

「いや〜ちゃんと映ってたやん!」

と喜んでくれました。

 

私は「少し親孝行ができたかなぁ」

とホッとしました。

これ以降、私は30本以上のドラマや映画などに

出演することができました。

 

2019年の春。

母は自宅で右足に大火傷を負いました。

 

幸い、命は助かりましたが

右足の皮膚が全滅し、背中とお尻の皮膚を

右足に移植するという手術を受け、

治療とリハビリで半年間の入院を

余儀なくされました。

 

その入院中に認知症脳梗塞を患ってることと

火傷のショックで失語症になっていることが

わかりました。

 

満身創痍という状態でしたが

それでも母は、必死でリハビリに励み

徐々に歩けるようになりました。

 

そんな母の姿を見ていると私は、

若い頃から、やりたいことやらしてくれた母に

感謝の気持ちが湧き、家に帰ることができたら

介護という形ではあるけれど

親孝行をしないといけない!

恩返しをしないといけない!

という気持ちが強くなりました。

 

そして、半年間の入院生活も終わり退院した母は

介護サービスを受けながら

毎日、明るく元気に生活しています。

 

もちろん、私にとって母の介護は、

決して楽なことではありません。

 

ただ、私が20代に聞いた

「お母さんは、若い頃。

やりたいことできへんかったからなぁ」

という言葉を思い出した私は、

これからは、やれることは限られるけど

「母には、やりたいことをやって

好きなように生きてほしい」

 

そのためには、私が母をしっかりと支える

必要があります。

そして、母が長生きをしてくれれば

私も思い存分、親孝行ができて

幸せな時間が過ごせると思います。

 

私が得た「人生で大切なこと」

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私が不遇の20代を乗り越え、

30歳で劇団に入って150回以上の舞台、

芸能事務所に所属して、朝ドラなど

30本以上のドラマ、映画に出演できたのも

母、親友、職場の方々の理解や協力がなければ

実現しませんでした。

 

私が俳優活動で一番に得たものは、

「人の関わりの中で "義理人情" が大切」

だということです。

人は、ひとりでは生きられません。

 

必ず、誰かの助けがいります。

助けられた時に感謝の気持ちを感じること。

そして、恩返しをすることが大切だということ。

逆に人が困っていたら、力になること。

 

芸能界はもちろんですが、

世の中で成功するためには、

人との繋がりが大事です。

そういう意味では、夢を叶えるためには

自分と人を大切にすることが必要です。

 

私の「俳優になる」という夢は、

セミプロという形では叶いましたが

プロという形では、今のところ叶えていません。

その夢をこのブログを観ているみなさんに

託したいと思います。

 

そして、夢を叶えるための第一歩として、

このブログを参考にしていただければ幸いです。

是非、一歩を踏み出して、夢を叶えてください!

 

今回もお疲れ様でした。